#Free Britney時代のカトリーヌ・スパーク論 ー町山広美(放送作家)ー

ブリトニー・スピアーズを経た私たちが初体験する、
カトリーヌ・スパークの特集上映である。

16歳でデビューしたブリトニーは、『...Baby One More Time』(98)のMVでつくられたその挑発的な女子高生ギャルのイメージでトップスターに駆け上がり、セクシーさと処女性の両立を期待され、全世界から消費しつくされ、奇行を笑われ、セルアウトの烙印を押され、子どもを取り上げられ、20代半ばで自分を見失ってしまう。
『狂ったバカンス』の奔放な16歳、甘い三白眼の金髪美少女フランチェスカには、デビュー当時のブリトニーとの共通点が見出せる。ネタ元、イメージソース、インスパイア、オマージュ、集団的記憶。そして、日本では以降20年以上も、イケイケでパリピな女子高生のイメージはブリちゃんの周辺をうろうろし続けた。しかし話したいのは、そのことではない。

『...Baby One More Time』の36年も前にフランチェスカを演じたカトリーヌ・スパークは、歌も歌っちゃう人気女優としての活躍はイタリア映画界の失速とともに20代半ばには収束するものの、セルアウトだのと全世界の身勝手な消費者から袋叩きにあうことはなかった。テレビが白黒だった昔に、ブリトニーよりもっとギリギリのビキニラインまで腹見せしてたのに、なぜか。
タブロイドメディアがダイアナ妃をめぐる狂騒を経験していなかったことが、最も重要だろう。インターネットももちろんまだなかった。近年に比べ世界の時計が早く動いていて、忘却された、とも言える。
父親シャルルがジャン・ルノワール、マルセル・カルネ、ジュリアン・デュヴィヴィエなど名監督たちとも組んだ脚本家で、芸能関係に顔が効いて裕福な家に育ったお嬢様だから、とも説明できそうだ。ブリトニーのみならず他にも枚挙にいとまがない、若くして成功した女の子たちの多くが、父親や周囲の大人の男たちの食い物にされたのとは違って。

だが、もうひとつ。
『狂ったバカンス』は、恋に仕事にイケイケだった男アントニオが、中年の憂鬱=ミッドライフクライシスに身悶えるお話だ。世界の時計が早かったので彼は39歳だが、40歳=つまらない中年になることに怯えている。
そんなアントニオの前に現れるフランチェスカはいわば、スピルバーグ監督『激突!』の大型トラックであり、『ヒッチャー』でルドガー・ハウアーも演じた、ハイウェイで遭遇し理不尽に主人公に執着し襲ってくる、ヤバいバケモノだ。16歳の無邪気、175センチの完璧なスタイルで籠絡、俺は独身貴族だぜと胸を張る男に「結婚してくれ」と懇願させてしまう。
そう、『狂ったバカンス』では、被害者という自己規定がいかにも滑稽な、おっさんの妄想の悦びと苦しみこそがお題であり、フランチェスカは徹底的に客体である。 アントニオの「俺、もうおっさんかもヤバいかも」なモノローグが物語を転がし、観客も画面に登場するフランチェスカが彼の目を通した存在であることを見失わない。ワンカットだけ、彼の肩の上で物憂げなフランチェスカのアップがあるが、それもまた「だったらいいのに」というおっさんの願望カットだと却下できる。本当は視界を外れた肩の向こうで、退屈に眠くなっただけ。
アントニオ然り、男の恋心は年齢を重ねても「あの子、俺のこと好きなんじゃ」でスタートしがちだが、そういう責任転嫁で欲情の自発をうやむやにし、はるか年下の女性を「小悪魔」なんぞと誘惑者=加害者キャラに仕立てるのはいかがなものか。「小」でデコレーションしたところで、君たちの卑怯はお見通しだ。

『...Baby One More Time』のMVの最後が、おっさん教師がヨダレを垂らして目を覚ます夢オチだったら、ブリトニーのその後はすこしでも違っていたんじゃと神様に手を合わせてみたくなる。妄想の主体が明快で、そんな妄想が彼女に内面化されているとは期待し難く、あの映像を世界中が彼女の実像だと短絡しなかったら。取材記者が「処女なの?」と繰り返し問いただし、それを世界中が茶飲み話にするようなことがなかったら。

場面写真

アントニオには従軍経験があり、誤射でイギリス兵を殺してしまった一方、フランチェスカはムッソリーニを知らず、彼女の仲間はヒトラーの演説やSS(ナチス親衛隊)の歌を娯楽として楽しみ、最後はインディアンの扮装をした彼らにアントニオが捨て置かれる。あの扮装に近年の『パラサイト』と同じ意味を望遠するのはやり過ぎだが、男性の性的魅力減退への不安を、敗戦=征服の不可能と重ねた気配はなくもない。
そしてEUの母体、EECを揶揄するセリフが登場するのは、スパークの伯父さんがベルギーの元首相で、のちに「EUの父」とも呼ばれる有名な政治家だってことに由来するくすぐりかも。
彼女自身は生まれも、映画デビューもフランスだ。ジャック・ベッケル監督の遺作、脱獄映画の大傑作『穴』に、唯一の女性キャストとして出演。妻に対する暴行で入獄、そのきっかけは当時15歳のスパーク演じる義妹への横恋慕、というその後の活躍を予感させる役どころだった。

日本で63年6月に『バカンス』に続けて公開された『太陽の下の18才』については、挿入歌がヒット、木の実ナナからムーンライダーズまでカバーしていることに加え、デート相手目線のカメラワークに注目したい。伸びやかな手足を気持ちよく動かしてツイストを踊るスパークが、ダンスのパートナーに向けるキュートな目線を、手持ちカメラがキャッチ。彼女に見つめられ、微笑みかけられてしまう。
カメラが軽くなってからは深夜のアイドル番組ですっかりおなじみの映像だが、果たしてこの時、どれほど前例があったか。カメラがデカくて重い時代にあって、世界的アイドルだったスパークの魅力が生ませた撮影技術、と想像してみたい。
前作から引き続きのボブヘアが、とにかく愛らしいし、いろんな着こなしによく似合う。今回は内巻きと外ハネを使いこなして、ここ数年の流行とも完全に一致。ちっとも古びてない。
引き続きといえば、『バカンス』で死にかけを装った男の子が本作ではギャンブルの借金ですったもんだしているが、この小柄でギャル男っぽい彼こそ、スパークの最初の夫。18歳で結婚&出産、長くは続かなかったのだが。

場面写真

『禁じられた抱擁』は、その18歳で撮影。三白眼を強調する前髪はそのまま、ロングヘアに。『バカンス』でもそうだったが、モノクロ映画では金髪のグラデーションがますます魅力的だ。
本作での、金髪ショートボブ担当はベティ・デイビス先輩。伯爵夫人の称号も金で買う堂々たる金満マダムぶりと、その着こなしで楽しませてくれる。
原作はイタリアの作家、モラヴィアの『倦怠』。この63年にはもう一本、モラヴィア原作映画が公開されている。ゴダール監督、ブリジット・バルドー主演の『軽蔑』だ。優劣は言うまい。
倦怠で腐りかけている男に、『荒野の7人』のチコ役でも純情担当だったホルスト・ブッフホルツをキャスティングしたことで、退廃や虚無というお題を遠のかせてしまっている一方で、スパーク演じるセシリアには、堕ちてもいいから覗きたくなる引力が。これまでのアイドル映画でのミニスカや腹見せも素晴らしかったが、ひざ下丈のタイトなスカートが腰から太ももに寄り添うと、そのスタイルの美しさは強度を増す。
「君のからだを覆う分だけお金をあげる」と裸の上にお札を載せられて、「脚が長くてよかったわ」と本当に愉快そうに笑う。そんなセシリアを愛情を知らない女、貞操や良識のない女と見たい人もいるでしょうが、金銭欲も支配欲もまるで意に介さず、今ここにある性欲にだけ素直な彼女こそがまともだ、とも。さあここへきてセックスしましょうと、自分が座るソファの隣をぽんぽん叩く、その空洞がかわいい。

場面写真

そして『女性上位時代』、ピチカート・ファイブのアルバムのタイトルに援用されての認知度の方が今は高いはずだが、返す返すも見事な邦題である。
撮影時22歳のスパークが、裕福だった夫の葬儀で退屈するシーンから始まる。このシーンでの白いビブカラー(デカ襟)は先シーズンからリバイバル流行しているし、めまぐるしくお着替えするコスチュームもヘアもメイクもことごとくチャーミングで、ときどき素っ頓狂で、とにかく楽しい。
キュートな未亡人ミミが、夫が隠し持っていた秘密の家で自分には明かされていなかった性癖を知り、夫の快感を足がかりに、自分の快感を探索する冒険物語。秘密の家のインテリア、麻薬的に気分を高揚させるトロヴァヨーリの音楽、スパークの美しいボディ、そしてヘアメイクや着こなし、とお愉しみが散りばめられた映画だが、90年代的な作法でそれらアイテムを消費するより、50年を経た今は、破天荒なお色気コントの積み重ねに見えたミミの冒険そのものが興味深い。

ここでもう一度、ブリトニー・スピアーズを召喚する。グラミー賞にも輝いた『TOXIC』は、世界で一番セクシーなMVと評されたが、座して待つおっさんを押し倒す当時23歳のブリトニーの振る舞いと裸同然のルックには、『女性上位時代』の影響が濃い。「私があなたを誘惑したの」と全裸でシャワールームに侵入し、SMっぽいプレイを楽しむミミのスタイルだ。違うのは、男の妄想が内面化された誘惑者=ブリトニーは笑わないが、ミミはとてもとても楽しそうなこと。
笑わないブリトニーは、奔放さを糾弾され、やがて笑えなくなり、精神に強い痛手を負って入院すると、父親が成年後見人となり、財産や権利を手中に。彼女を追い込んだのはメディアによる、性差別的な攻撃だ。私もそれに加担していた、と有名人たちから続々と声があがり、#FreeBritney!を掲げて、父親を後見人から外しブリトニーを解放しようという動きが起きているのが今だ。彼女自身の発言はまだ少なく、垣間見えるその幼さがかなしい。
翻ってこの映画が、ミミのモノローグや朗読で進行する点は重要である。『バカンス』では客体だったが、妄想の主がスパーク演じる女性の側に移っているのだ。

やがてミミは冒険の最終地点に達する。求めていた快感をもたらしてくれる男を発見するのだ。演じるのは、巻き込まれ型ハンサムを演じたら絶品の、ジャン=ルイ・トランティニャン。ど近眼メガネでカタブツに見える博士だが、ミミの冒険を告白されて「性に目覚めた天使が革命を起こしただけ。君は勇敢な女性さ。想像力にあふれてる!」
女を自分の型にハメようとせず、「僕にも想像力があったからこそ君に出会えた」と言える彼は、ミミのリクエストに応える。おうまさんごっこの名シーンだ。日本においては、谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』とその映画化作品が思い起こされるが、それらにあったような、哀感がここには一切ない。女が乗ってあげてるのでも、男が乗せてあげてるのでもない。乗りたい女を乗せたい男が乗せて、どちらも笑顔で、楽しげに、おうまさんは前へ前へ。

場面写真

監督のパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレは、脚本家として『若者のすべて』『山猫』でヴィスコンティ監督と組み、のちには本作の脚本家と『SEX 発電』なる近未来SFを撮っている。自ら書いた原作『オルゴン・ボックス SFセックス・エネルギー計画』は日本でも月刊プレイボーイで連載されていた。発電のエネルギー源としてセックスが産業化された未来、恋人たちは非合法化となった愛こそを求める、そんな物語なんだとか。

『女性上位時代』では、「人間が本能を抑圧して現代文明は成り立ってる。それが男の不幸だ」と語る博士に、ミミが「女は?」とねじ込むと、「人間って意味の、MANだ」。この発言を参考にすれば、女性上位時代とはつまり、男女フラット時代。待たれている未来だ。
男の妄想の中のバケモノから、妄想する主体へ。おうまさんに乗って、長い脚を気持ちよく伸ばしていたカトリーヌ・スパークの近影は、18歳年下の4人めの結婚相手のお隣で、悠々とお美しい。

※本文中で言及されているブリトニー・スピアーズのPV
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